『ごきぶりねえさんどこいくの?』−愛されるごきぶりねえさん−
マルジャーンの絵とイランの絵本展

あらすじ

風呂屋の裏のくぼみに住むごきぶりねえさん。年老いたかあさんにうながされ、自分の居場所を見つける旅に出ます。

目指すはハメダーン(イラン中西部の町)に住む羽振りのよいラメザーンおじさんのところ。自分でしっかり働いて、決して人にへつらったりしない、という決意のもとに。
その道中、色々な動物が冷やかし半分で「一緒に働こう!」とごきぶりねえんさんを誘ってきます。
一度は一緒に働こうとするのですが、結局はうまくいかずにまた旅へ。

そうして40日間旅を続け、とうとうハメダーンに到着します。
でも、紳士なネズミが言うところには、ラメザーンおじさんは遠いインドにいる、とのこと。
困ってしまったごきぶりねえさんに紳士なネズミは「一緒にたくさん働きましょう。人にへつらわないように」と礼儀正しく丁寧に申し出ます。その紳士的な態度に うれしくなったごきぶりねえさんは、その申し出を受け入れ、それからふたりはずっと一緒に働いて、子どもにもたくさん 恵まれて、幸せに暮らしたんだって。

雑感

つい先日、日本に遊びに来ていたイラン人の友人が、鎌倉から 帰る電車の中で唐突に「ごきぶりねえさんの話、知ってる?」 と尋ねてきた。その顔は「これからとてもおもしろい話をケイ コにしてあげられる」という感じでキラキラしている。わたし は上記の本も持っているし、別の場面でも何度か、この話に遭 遇していたので「知ってる、知ってる。それってイラン人なら みんな知ってる有名な話なんでしょう?」などと返答し、彼女 が全ストーリーを話すのは阻んでしまったものの、ひとしきり この「ごきぶりねえさん」についてやりとりをした。

そしてわ たしは、この話になるとどうしてもしてしまう質問「どうして ごきぶりが主人公なのかしら?」を彼女にもしてみた。彼女は 少し考えてから、「これはもう、ごきぶりじゃないのよ!一つ のキャラクターなの!と言った。

ふむ。だからなぜ、ごきぶ りがキャラクターになるのか、ということが知りたいのだけど 。。。
とはいうものの、この彼女の反応から「ごきぶりそのもの」と 「ごきぶりねえさん」は分けて考えるべき、という主張は、はっ きりわかる。
当然だろう。
現実のごきぶりは、黒くて平べった くて、触角を妖しく動かす嫌われ者だ。
モルテザーの絵のよう にはかわいくない。

もしかしたら彼女は、わたしが「あんなき たない虫を物語の主人公にするなんて、信じられないわ!」と 軽蔑していると思ったのかも、しれない(実際は驚いているだ けで、軽蔑はしていません。全く)。 それであんな答え方をし たのかもしれないが、わたしはこの物語から判断するに、両者 を完全に分ける見方は少し違うんじゃないかな、と思っている 。

確かに、辞書や人から聞いた話を総合すると、わたしが「ごき ぶりねえさん」と訳した「ハーレ・スースケ」という言葉は、 もともと小さな女の子が、チャードル(大人の女性が体の線を 隠すために着用する一般的には黒色の大きな布)を被ってちょ こちょこ動き回る様子を例えたものであるということで、かな り愛らしく幸せな雰囲気の中で発せられる言葉であることがわ かる。
つまり、実際のごきぶりの扱いとはかなり違う。
言う人 も、現実のごきぶりを思い浮かべながら言うわけではあるまい 。いわば慣用語である。

しかし、物語の中の「ごきぶりねえさ ん」はあの現実のごきぶりと無縁な存在として描かれていない 。

風呂屋の裏というもっともらしい場所に住んでいることとい い、一生懸命おしゃれをしているにもかかわらず、
行く先々で 「黒いごきぶり!」とからかわれ続けることもまたしかりであ る。

物語の中の「ごきぶりねえさん」は現実の「ごきぶり」が 持つマイナスな評価を背負って登場してくるのである。
これは 、その存在からは元の動物の特徴を感じることはほとんどない 、ミッキーマウスのようなキャラクター
とは一線を画している と言えるだろう。
しかし、まさにこの点がこの物語をより愛 されるものにしているのではないかとわたしは思うのだ。

ごきぶりねえさん
は、周りから「黒いごきぶり!」と、からかわれ
るとおおいに憤慨して
「わたしはバラより美しい。」と 豪語し、自分の子どもたちに「お前たちの水晶のようなその体 が愛おしい!」
と、言い切る。

決して自分が納得できない社会的 評価を甘受することなく、自らを卑下することなく信念のも とに突き進んでいく。

なんと元気よく、ひたむきなことか。
だ いたい、ごきぶりが40日間旅をする、と想像するだけでも何 かもの凄いパワーを感じるではないか。
その元気でひたむきな パワーに思わず声援を送りたくなってしまう。温かく見守りた くなってしまうのだ。



この物語に触れた多くの人がわたしのように感じ、その結果と してごきぶりねえさんはみなに愛されるようになって、長く語 り継がれることになったのではないかと思える。
その愛されぶ りは、ごきぶりねえさんの話をする冒頭の友人や、わたしのた めにこの物語をテープに吹き込んでくれたとても上品なお姉さ んや、授業の脱線話の中でひょっこり話し始めた老齢の先生が 見せた、懐かしそうな、そして自分のかわいい妹の話をするよ うな優しい表情が余すところなく語っていた。

ごきぶりは、確かに今でも好きではない。
でも、見かけた時に モルテザーが描いた愛らしいごきぶりねえさんを思い出すと、 ほんの少し心のかどがとれる気がするのである。

 

Copyright(c) salamx2., 2005 All Rights Reserved