『シャベ・ヤルダ−*』−夜ということ−

*冬至の夜のこと

あらすじ

1年で一番長い夜、家族は、真っ赤なスイカや木の実を並べたソフレ(食布)の周りで時を過ごし、そして眠りにつきます。みんなが眠りにつく時、おじいちゃんはこう言いました:
「今夜は1年で一番長い夜。みんなが素敵な夢を見られますように。」

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1年で一番長い夜、僕は夢を見た。
僕には、名前がなかった。
霧の中を行き交う人々がみな、お互いを名前で呼び合っている中で、名前のない僕を呼ぶ人は、いない。

夢の中で、お兄ちゃんに言った:「僕、名前がないんだけど。」
お兄ちゃんはこう言った:「お前は海だよ。」
僕は海になった。
僕は青で、木も魚も鳥もすべて青に見えた。僕というものは青の中に消えていた。
気に入らない。
「ちがう、僕の名前は海じゃない‥‥」

夢の中で、お姉ちゃんに言った:「僕、名前がないんだけど。」
お姉ちゃんは笑って言った:「お前は木よ。」
僕は木になった。
緑になり、葉や木陰や根を持った。でも地中深くはった根っこのおかげで僕は少しも動けない。
そんなのはきらい。旅に出かけられないなんていやなんだ。
僕は悲しくなった。
「ちがう‥‥僕の名前は木でもない。」

夢の中で、お父さんは、僕は川なのだと言い、お母さんは星だと言い、おばあちゃんは花だと言った。
そうなのか、と一度は思った。
だけど、やっぱり僕は、
一時だって留まらない川や、
うちや友だちから遠く離れている星や、
きれいだけど少しづつ枯れていってしまう花じゃないはずだ‥‥

夢の中で、僕はおじいちゃんにこう言いたかった:
「この世の全てのものが素敵な名前を持っているのに、どうして僕には名前がないままなの‥‥」

とその時、おじいちゃんの優しい声が聞こえ、僕は夢から覚めた。
おじいちゃんは、僕の本当の名前で僕を呼んでいた。
そうして僕はわかったんだ。
「僕には名前があって、子どもで、ここにいる‥‥」ということが。
僕は安心し、嬉しい気持ちで、起き出した‥‥

雑感

この本との出会いはさほど印象的なものではなかった。いつものように絵本をまとめ買いする時に、何気なく買い物かごに入れられた1冊で、表紙に特に惹かれたわけでもなかった。まあ、魚が2匹泳いでいる上を頭半分だした子が、こちらをじっと見ている、という絵(しかも青だけ)は、明らかに普通 な感じではないので、買ったということはやはり何かひっかかるものがあったのだとは思う。

しかし、この絵本は後に、かけがえのない大切な1冊となった。
それは、この本で表現されているのが、紛れもなく「」である、ということによっている。

こんなことをいうと、「冬至の夜の話なんだから、当たり前じゃない?」と思われるかもしれない。
確かにそうだ

シャベ・ヤルダー(冬至の夜)』というそのものずばりのタイトルがついている以上当然といえば当然なのである。
しかし、そういう当たり前のことというものは、ある種の先入観によって邪魔されて、分からなくなってしまうということが多々あることもまた真であって、この本はまさにそうなのであった。

わたしは、「この『シャベ・ヤルダー』というタイトルの本は、その夜になされる、季節はずれのスイカを食べたり、家族でゆっくり話をしたり、といった行事について書かれているのだろう」という勝手な思い込みにとらわれていた。その時、「」というものはその行事を提供する舞台ぐらいにしか感じていなかったのである。

しかし、実際にページをめくってみると、夢の中で名前をなくし、それを探しにいくという途方もないストーリーと、ファラフ・オスーリーによって描かれた、いつでも霧の中に佇み、決してその視線が合うことのないばらばらな印象の登場人物たちは、「」という、光のない、全ての輪郭を曖昧で不確かなものにしてしまう時間というものを見事に表現していた。それは紛れもなく「」であったのだ。

わたしはこの本を読むたびに、この、名前をなくしてその存在さえも曖昧になり、不安なはずなのに、どこか身軽な感じもする主人公「僕」とともに、長い長い夜をふんわりと移動していくような心持ちになる。それはとても贅沢な気分だ。そして、おじいちゃんによって名を呼ばれ、朝の光とともに「自分」へと無事着地できる物語のラストも安心できる。

先入観を鮮やかに覆されたという驚きと、「」そのものが物語として迫ってくるという新しい体験によって、この本はかけがえのないものになったのであった。

というわけで、ほんとに傑作だなぁ、と思うのだが、この雑文がその素晴らしさをきちんと伝えているとは、到底思えない。
もどかしさが募るばかりである。
「やはりこれは原画展だ!原画展をやって素晴らしさを知ってもらうしかない!」と、夜のパソコンに向かいつつまたまた興奮気味に原画展決行を決意する未熟者なのである。


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